【幸せに生きる】自分なりの生き方を探して*北欧フィンランドで暮らす

フィンランド在住、元保育士の雑記です。自分と向き合うのは人生の課題。自分自身に、そしてこれからの未来を生きる子どもたちに伝えたいこと。

幸福度ランキング2年連続一位の国フィンランド。その理由を考えてみた。【オペア体験日記10】

フィンランド・トゥルクでオペアとして在住中の元保育士、勿忘草です。

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さて突然ですが、 フィンランドは、毎年国連が発表している国民幸福度ランキングで

いつも上位(2018.2019年は1位)にいる国です。

国民幸福度ランキングとは、各国の国民に「どれくらい幸せと感じているか」を評価してもらった調査に加えて、GDP、平均余命、寛大さ、社会的支援、自由度、腐敗度といった要素を元に幸福度を測ったもの。

毎年国際幸福デーの3月20日に発表される。

7回目となる2019年は世界の156カ国を対象に調査をした。日本は2018年の54位から4つ順位を下げ58位だった。

                          -HUFF POSTより

 

なんでフィンランドの人はそんなに幸福度が高いんだろう?

私はここに来る前からもちろん、どんな生活をしているのか…って

気になっていました。

 

ここで過ごしてまだ約3か月ですが、

ちょっと気づいたことがあったので

ここに記しました。

 

幸福度ランキング2年連続一位の国フィンランド。その理由を考えてみた。

 

私が今まで日本で生きてきた考え方も含めて書きました。

そうじゃないと、私がなんでそんなにも衝撃を受けたのか

わからないと思ったから。

 

そうしたら、全文5000字を超える超超長文になってしまいました。

いったい誰が読むんだろう・・・。

 

私の生き方・考え方なんて興味ないわっ!

という方は、一番最後にまとめが書いてあるので、

そこだけでも読んでみてください。

→ここから飛べます←

 

私の生き方・考え方も興味があるわって方がいてくれるなら、

この下から読んでみてください。

これ実は、まさかのジョギングしたときに気づいたことなので、

ジョギングの話が始まります。

(書きたいことがいっぱいあったので、早く書くために

語尾が丁寧語でなくなっています。)

 

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「頑張る」「努力する」ことが当たり前だった

 

ここに来てから、私"仕事"してない!

もっと働かなきゃ!

って思うことが多かった。

 

今までの仕事が激務だった分、

こんなん仕事のうちに入らへん!

こんなんでお給料もらっていいの?

もらえへんわ!

って思うことが多かった。

 

その度にホストファミリーは

「十分キッズの世話をしてくれているよ!」

って言ってくれていたけど、

信じられなかった。

 

ホストマザー、ホストファザーも、

疲れたら疲れた、眠かったら寝たいと言うし、

あまり頑張りすぎない印象だった。

時には、(もちろん言わないけど)、

もうちょっと頑張れるんじゃないの?

え、そこで終わるの?片付けまでしようよ、、。

なんて、おこがましくもダメ出ししたくなる時もあった。

 

私の中で、「頑張る」ことは当たり前のことだった。

「頑張って」「努力して」

それでもうまくいかないこともあるけれど、

「頑張らないで」「努力が足りなくて」

うまくいかないことは、

「自分への甘え」「自分はなんでこんなこともできないんだ」って自分の頑張りが足りないからだと思っていた。

 

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苦しいジョギングから、楽しいジョギングへ

 

今日、ホストファザーとキッズと一緒にジョギングに行った。

キッズはベビーカーに乗せて、

ホストファザーが押して走る。

 

私はここに来てから、運動不足と

ちょっと太ってきたことが気になって、

今年の目標は「毎日ジョギングする」

って決めた。

 

何度か自分1人または、

キッズのベビーカーを押しながら

ジョギングに行っていたけれど、

今日はホストファザーとタイミングが合ったので

一緒に出かけた。

 

私が元気いっぱい駆け出すと

ホストファザーは「速過ぎる!」

と驚いた。

「もっとゆっくり走るんだよ!」

と私に言った。

私はホストファザーをからかった。

「え〜?もう走れないの?まだ始まったところやん!」

ホストファザーは言った。

「ん~。君は正しいジョギングを知らないな。ジョギングは、速く走ればいいんじゃない。いかに楽に楽しく長く走り続けるかが大事!」

 

確かに脂肪燃焼は30分走ってからというし、

長く走るのは大事だな。

でもそのペースは遅すぎじゃないって私は思った。

私の走りやすいテンポだってあるし、

何より今まで学生のとき、体育やマラソン大会では

できるだけ速く走ることを言われて日々

「トレーニング」して、

いかに記録を縮めるかが重要だったじゃない?

 

とにかく私は、彼のテンポについていくことにした。

 

私は今までのジョギングで最大走り続けたのは15分。(一度も止まらずにという意味)

もちろん短距離走の走り方じゃないけど

長距離のできるだけ速いペースで走っていた。

 

 

彼のペースは、基本は「早歩きと一緒じゃない?」ってぐらいのゆったり。

時々ハイパワーで50メートルくらい走って

またゆっくりに戻る。

 

そんなこんなで走っていくと

「あー、この道ってこんな綺麗な景色やったっけ、、」

「空気が冷たいっ!でもおいしいなぁ。」

なんて"息を吸って吐く"こと以外にも

考える余裕があった。

 

まぁそんな余裕でいられたのも

コースの2/3くらい走ったころにはすっかり消え失せて、

家に着いた時には疲れ果てていた。しかし、

25分間。

一度も止まらずに走り続けることができていた。

 

彼は言った。

「でも今のペースはまだ速い。このコースで走ったら、30分以上になるのが理想。」

 

それから彼はさらに説明してくれた。

 

もしも常に100%の力で走ろうと思ったら、

ほんの数分でしんどくなってしまう。

もしもっと長く走り続けられるようになっても、

「苦しい」気持ちが大きくなって

「ジョギングはしんどい、辛い」

ってなったら、続けることが難しくなる。

もし続けられても、しんどいことを続けてるから余計しんどいが溜まっていく。

 

もちろん、記録を伸ばすことや「トレーニング」が目的なら、

違うやり方がある。

 

でも、今ジョギングを始めた目的は、何なのか?

健康のためじゃないのか?

1日、2日じゃなくて、長い期間続けることじゃないのか?

 

だったら、帰った時に息が戻るまで20分も30分もかかるのは、無理をしすぎ。

自分の力が100が最大なら、60%で走れるように。今日は80%出てた。

 

 

 

私はなぜかそのとき、

「自分の最大限のパワーを出しすぎない。いかに楽に楽しく長く走り続けるか。」

 

これはジョギングのことだけじゃなくて、

働き方や日々の過ごし方全般において本当に大切なことだったんだ!

と直感で感じた。

 

なんというか、うまく言えないけれど、

今まで頭では分かったつもりでいたことが、ジョギングを通して実際に体を動かして感じたことで、

すっと腑に落ちて、納得できた。

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「頑張れている私」「努力している私」それは私が"私"を評価するためのステータスだった

私は今まで、「何事も一生懸命頑張ること」が当たり前で、かつ、

自分の唯一の取り柄だと思っていた。

自分は人よりも覚えるのが遅いし、臨機応変に動くのが苦手だし、

空気を読むのが苦手で気を遣えないし…など

いくらでも短所は言えるけど、特に長所がないと思っていて、

驚くほどに自分に自信がなかった。

 

自分は人より頑張って、やっと人並みなんだという、

だからもっと「頑張らなきゃ」「努力しなきゃ」という意識が

常に自分の中にあった。

 

そのくせ、カッコつけだって感じだけれど、

「頑張っている」「努力している」と決めるのは

自分じゃなくて、他人だと思っていた。

人から認められなければ、

それは頑張り切れていない、努力できていないからだと考えていた。

人の役に立ちたい(頑張った結果が欲しい)と

よく考えていた。

 

それがプラスに働くときもあった。

 

「頑張れている自分」が嬉しい。もし人の役に立てばそれは、

「自分が頑張ったことが評価された」ってことだから嬉しい。

 

でも、がむしゃらな時はずっとは続かない。

それはいつも突然やってくる。

 

「人の役に立ちたい」「頑張りたい」って

それは人のためじゃなくて「頑張っている自分のことが好きだから」

頑張っているわけで、それって結局人のためじゃなくて

「自分のため」じゃないか。

なんて自分中心の、自分勝手な人なんだ私は。

 

そんな風に自分のことが嫌いになったり、

 

自分の中で100の力を出せているときが〇だから、

それ以外、例えば80でも90でも、

それは「頑張り切れていない」「ダメな自分」

ということになって、

むしろ100のときでさえ、本当に私は100の力を出せているのか?

もっと頑張れるはずだろう!

 

と自分を責めたりしていた。

 

よく言えば「向上心の高い」人になるのかもしれないけれど、

いつ急に壊れてしまってもおかしくないのに、それに気づけない、

「自分と向き合うことのできない」人だった。

 

 

無理をして体か心が壊れるたびに、なんとなく頭ではわかっているつもりでいた。

「自分の限界」を知らないといけないこと。

「限界」を超える前に、周りに助けを求めてセーブしなければいけないこと。

 

でもいつも、自分の中で”まだ頑張り切れていない”、"もう少し頑張れば自分でなんとかできる"

って自分の限界を計りかねた。

 

またいわゆる"頑張りすぎていない"

”ふつう”と自分で思っているときにも、

必ずと言っていいくらい終わり(体か心が壊れて何もできなくなること)がやってきた。

それでも、

「壊れても必ず治る時が来るから」

と、ネガティブなのかポジティブなのかわからないけれど、

「頑張れるときは100の力で突き進むんだ」

「壊れてしまったらゆっくりにするか立ち止まればいい。そしてまた頑張れるときが来たら、そのときは全力で取り組む!」

と、無理やり体と心をフルに動かし続けていた。

 

 それが、丸々4年半続けている通院と服薬という結果に繋がっているのだから、本当に笑えない。

 

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ジョギングから気づいた、フィンランド人の幸せな生き方とは

 

「自分の最大限のパワーを出しすぎない。常に60%くらいをキープする。

いかに楽しく長く走り続けられるか。」

 

今まで過ごしてきた私の生き方は、

いかに自分が頑張れるか、成長できるか、

を大切にしてきた。

 

でも、大事なことはそこじゃなかったんだ。

そうしてがむしゃらにやることが「楽しい」と思えていたのなら

それもよかったのかもしれない。

 

でも、そういう生き方は「苦しい」「きつい」の方が大きかったんじゃないか?

 

もちろん、「楽しい」「嬉しい」と感じるときもあったし、

頑張ったからこその「達成感」や「満足感」を感じられたときもあった。

 

でもそれは、その時が「しんどい」「苦しい」から

解放された時間だったからというのも大きかったのではないか。

 

 

今まで、「自分と向き合うこと」「自分の限界を知ること」は

自分の中で長い間、なかなか答えの出ない、大きな問題だった。

 

でも、わかった。

 

そんな難しく考える問題じゃなかったんだ、と。

 

「自分は今それをしていて幸せか?楽しいか?」

 

「YES」なら、それは自分にとって良いこと。

「NO」なら、もう少しレベルを低くするか、違うことに取り組めばよい。

 

 

おこがましくも、ホストファミリーが手を抜きすぎているんじゃないかなんて思っていたけれど、

彼らは自分の力を上手にセーブして生きているのだ。

 

自分の心と体の健康なバランスをキープしているから、

人にイライラして当たることもないし、

 

常に大きな心で子育てに仕事に勉強に家事に取り組めて、

 

よく笑い、うまくいかないことがあっても笑いに変えてしまえる、

 

ゆったりとした穏やかな空間を作り出すことができていたんだ!と。

 

 

私もここで家族の一員として過ごさせてもらう中で、

良い意味で、自分が少しずつルーズになってきているのを感じている。

それが最初の頃は嫌で自分への甘えだと思っていたけれど、

最近は、自分の心や体に正直になるのが心地よいと感じられるようになってきた。

 

自分のやりたいことをやりたいときにやりたいようにし、

ホストファミリーにもわがまま(今もう少し寝たい、今自分の時間が欲しいなど)

を言ったりできるようになってきた。

 

 

そして一番大事なことは、そうしてあまり

頑張りすぎずに過ごす今の自分が好きだと思えるようになったこと。

 

「今の自分が好き」

 

日本でどれくらいの人がそう思っているんだろうか。

 

フィンランドの人は、(もちろん出会った人みんなに聞いたわけじゃないけれど)

多くの人が「自分のことが好き」と思って過ごしているように感じる。

 

それはきっと、みんな自分の心と体に正直に生き、

自分の思いをアウトプットしたり、無理しすぎないようにしたりするのが上手だから、

ということが関係しているだろう。

 

疲れたら疲れたって言う、

休ませてって言う、

言われた方は嫌な気持ちになんてならない、 

そうやって自分の状態を口に出して

理解し合えるようにしていくことが当たり前だから。

 

お互い言わずとも気遣い、それとなく

思いやる日本の文化も素敵だけれど、

フィンランドには、思いを口に出すことで、

お互いを正しく理解し合おうとし、

お互いを思いやるという文化がある。

 

自分の思いを言葉にするって時に難しいけれど、

そこは努力して伝えようとしている。

わがまま言っているんじゃなくて、

私のこと分かってよって自己主張しているんでもなくて、

自分も周りも幸せに過ごせるために、

"言葉を選んで伝えて"いるのだ。

 

 

だから、イライラする人が少なくて、

人と一緒に過ごすのが好きで、

笑うのが好きで、

優しい人が多いと感じるのだろう。

 

 

そうして、肩の力を抜きながらも

お互いを尊重し合う生き方が、

一人一人が「今が幸せ」と感じること、

つまり国民幸福度を高めることに

繋がっているのではないか。

 

 

私はここ、フィンランドに来られて本当によかったなと思う。

ここでの生活はこんな風に、思わぬ新しい自分との発見がある。

 

ここで1年間生活する中で、私は

いくつもの新しい「私」を発見し、

それが今後どこでどんな風に生きるとしても

自分の土台となっていく気がしている。 

 

色々なことに気づくアンテナは

気を抜かずに張っていたいけれど、

 

フィンランド人のように、

のびのびと肩の力を抜いて

自分を好きな自分で過ごしていきたい。

 

 

 

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